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Crime and Punishment

教科書にも載る国民的なヒット曲を持つ某有名アーティストが覚せい剤で二度目の逮捕。 巷では「曲に罪はない」とか、いろいろな議論があるけど、自分は作品を世に出すからには造り手が作品に責任と覚悟を持つべきで、その人の振る舞いと作品は切っても切り離せないものだと思っている。 だから、仮に、それがどんなにすらばしい楽曲だったとしても、発売停止や使用禁止、放送禁止等になったからと言って、それは仕方がないことだ。 「自分が何か反社会的行為をしてしまったら、その愛する曲がそれなりの制裁を受けるかもしれない」という覚悟を持って作品を世送り出すべきなのだと思うから。 そういう意味では曲自体に罪はないといえば、確かにそれはそうなのだろうけど、アーティストの無責任な行動の結果も一切合切含めたうえでの「作品」なのだと思う。 どんな芸術でも、数奇な運命を辿ることはある。 そして、それがいつか歴史のひとつとして語られることもある。 きっと「あの曲」もそういう運命を辿るんだろうな。

more than ever...

いろいろと忙しいのを理由に、このブログを書くことをサボっいたのだけど、そのうちにすっかりこのブログの存在を忘れてしまっていた(汗)。なんということ…。 いろいろなことが混沌としていたのだけど、世の中の新型コロナ騒ぎを横目にこちらは何とか正常モードに落ち着いたので、たぶん「あれやこれや」も動きだすことだろう。 さて、先日、藤原ナオヒロの新曲がリリースされた。 『夏の足跡』に続くロマンティカリー・シリーズ第2弾、『MORE THAN EVER』である。 どことなく80年代が漂うのは「狙い」。 もう一曲リリースが予定されている曲も、レトロなフレンチテイストだけど、そこでいったん、レトロ・シリーズは終わる(個人的な趣味は十分に堪能させてもらったので(笑))。 『MORE THAN EVER』は先日PVの撮影も行ったので、近々、Youtubeにアップされることだろう。 Youtubeといえば、いわゆる巷のユーチューバーたちとは一線を画すアプローチで、何か動画を面白くやれないかとあれこれ思案中。

令和最初の新年あいさつ

あけましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしく。 さて、昨年最後のブログでは、藤原ナオヒロのプロジェクトでは、昨年中に1曲しかリリースできなかったと書いたが、アルバムの制作は秋から始まっている(スポンサー様にはずいぶんとお待たせしてしまっている)。 自分も、ナオヒロも、前回のアルバム『 Limit Unlimit 』リリース後から、ずいぶんと意識の変化があった。 たぶんそれは音楽にも現れていると思う。 まあ、同じメンバーで作っているわけだから、人が聴いて「どこが変わったの?」と思うかもしれないが、いろいろな意味で次のアルバムはナオヒロ色が色濃く出ているのではないかと…。 全曲を作曲・編曲しているのが私で、作詞はナオヒロだという分担は変わらないけど、前作はどちらかといえば、曲の世界観が優先で歌詞をそこにアテた、という感じ。 今回は、まずはナオヒロの歌詞の世界観ありきで作られている。っつーか、自分の長いキャリアの中でも、彼の今作の歌詞の完成度はなかなかのもの。 私自身の内面的な部分で「ポップ・ミュージック」の定義が少し変わった、というのもある。そこをうまく言葉で表現することは難しいが、自分でやりたいのは、ポップスであってポップスではないということに気づいてしまった。 いまや音楽はDIY時代。その時点でもはやポップスではない。でもやりたいのは「往年のポップ・ミュージック風スタイル」とでも言えばいいのだろうか。まあ能書きはこのへんにしておくけど、意識の変化というのは制作のプロセスにも変化をもたらすものだ。 それに関連して、今年の目標というか、課題というか、今、自分の中で克服しなければいけないテーマは、朝ドラの中のセリフを借りて言うなら「自由は不自由だ」 ※ ということ。 なぜなら、今、NATIVE INSTRUMENTS社の「KOMPLETE 12 ULUTIMATE」の広大な海に溺れているからです(汗)。 ※NHKの朝ドラ「スカーレット」の中で、西川貴教が演じる世界的な芸術家・ジョージ富士川が発した言葉。

2019年総括

今年最後のブログは「懺悔」だ。 今年はとてもせわしなかったけど、達成感は少ない。 前に進もうとすればするほど、風圧も強かった。 守れなかった約束もたくさんある。 一番の後悔は、藤原ナオヒロのプロジェクトでは1曲しかリリースできなかったこと(汗)。 さきほど、これから帰省するナオヒロから「今年は最後に1曲リリースできたので、それが一番良かったと思います!」とLINEが…うわ、キビシイ(汗)。 この一言は、蜂の一刺しのように見事にとどめを刺してくれた(笑)。 ナオヒロよ、本当にすまなかった。 (詫びの代わりというわけではないが、本年唯一のリリース曲のPVをここに晒しておく) 冒頭にも書いたけど、今年はとても多忙だった。 あと、ここには書けないアクシデントもあった。 まあ、言い訳はしまい( ※ )。 ただ、混沌の中で、「あれ、オレ、いったい何やってんの?」という疑問ばかり。 年齢を考えると、いままでの人生があっという間だったように、残りの時間も思うほど長くなくて、まして現役でバリバリ動ける期限はカウントダウン…それはとても貴重なハズなのに、他人のために、自分や家族以外の何かのために無駄な時間はもう使いたくない、という思いが強くなった。 だから、来年はもう一度原点に帰って、ライフワークである自分の音楽を大切にしようと思う。 何でもいいから頑張っていればいつか必ず報われるなどという戯言を信じるほど青くはないので。 自己実現なくして自分や周囲の幸せはあり得ない。 ※余談だが、国語の文法的には「〜しまい」にするか「〜すまい」にすべきか、諸説ある。

成長の証

本当なら、今頃はApple MusicやSpotifyなどで、藤原ナオヒロの新曲が聞けるハズだった。 アルバムに先駆けて、1年2ヶ月ぶりに、満を持してリリースされるハズだったニュー・シングル…。 だが、リリース直前に「待った」がかかったのだ。 しかも、藤原ナオヒロ本人から…(汗)。 どうやらミキシングの出来が気に入らないらしい。 正直、自分も今回のミックスの上がりはイマイチだと思っていた。 (もちろん、リリースはしても許されるレベルではあるけれどベストではない、という意味で) まあ、低予算のインディーズでできることなんて限られてはいるけど、やはりベストは尽くしたいと思うので、この「待った」は自分的にも賛成だ。 それよりも、藤原ナオヒロが共同プロデューサーとして、そういうところにまで口出ししてくるようになったことが、ウレシイじゃないか。 これも成長の証。 後継者、すくすくと育っています(笑)。

SONY MDR-M1ST

ヘッドホン(SONY MDR-CD900ST)のケーブルを猫にかじられ断線してしまったので、交換用のケーブルを買ったもののハンダ付けに失敗してどうもうまく修理できず…。まあ他にもこれと同じヘッドホンは持っているのだが、取り急ぎ藤原ナオヒロのレコーディングも押し迫っているので、修理は後回しにして新規に一個購入。 さらに、いま話題の SONY MDR-M1ST も興味あったので、ついでに購入。 SONY MDR-M1ST ハイレゾ対応でソニーがMDR-CD900STに代わる新たなスタジオの定番を狙う製品として満を持して発売したもの。 いろいろなところでレビュー記事も出ているので、まあ詳細は省くけど…。 ぜんぜん違う…。 良くも悪くも…。 慣れの問題だと思うけど、MDR-CD900STの音に慣れきっているので、かなり戸惑っています。 いや、慣れるのかな(汗)。 音も解像度もかなり良くなったのは僕でも分かります。 でも、音のイメージがずいぶん違って聞こえるので、ある意味、危険(笑)。 いい音はちゃんといい音に。それなりの音はちゃんとそれなりに…そんなカンジ。 以前、一度AKGのヘッドホンに浮気したのだけど、結局、うまく馴染めなくてまたMDR-CD900STに戻ったという経緯が。 今度もそうならなければいいけど。 こいつが犯人!

意外性こそリアル

先日、あまりにも仕事のストレスが溜まっていたので、気分転換のつもりで映画『ロケットマン』を観に行った。 ご存知の方も多いだろうが、これはエルトン・ジョンの半生を描いた映画。 ストーリーのネタバレになるようなことは書かないつもりだけど(っつーか、ノンフィクションのストーリーにネタバレもなにもないと思うけど)、監督があのクイーンのフレディ・マーキュリーを描いた『ボヘミアン・ラプソディ』の最終監督だけあって、ちょっとテイストが似ている。 ある意味、欧米のショービズにおけるサクセス・ストーリーのテンプレートのようなお話。 セクシャリティとドラッグのエピソードはもはや必須。一度頂点まで上り詰めたあと一気に坂道を転げ落ち、そこから這い上がるストーリーって、向こうの人は好物なのだろうか。 どちらにしても、日本人にはあり得ないスケールのデカさは感じるけど、正直ちょっと食傷気味かも。 「伝説」ってこうやって作られていくんだなぁ…。 噂によれば、ボーイ・ジョージを題材にした伝記映画も企画されているらしいし、これも同じ路線になるのかな? 自分は世代的に、クイーンもエルトンもカルチャー・クラブも、まさにど真ん中なので、まあ仮に映画が駄作でもそれなりに楽しめたりはするのだけど、テンプレート的ではない伝記映画、観たいなあ。 そういえば、ずいぶん昔に観た、ティナ・ターナーの伝記映画、これもやはりミュージシャンの「蘇生」の物語だったけど、黒人女性が仏教の経文を唱える姿に不思議とリアリティを感じておもしろかった。 そうか! 「リアリティ」というのは、カッコいい伝説化されたストーリーじゃなくて、日常の中にある意外なエピソードの描写にあったりするのだな。

The man who has no imagination has no wings.

一応、ドラム音源としては、定番のBFD3とAddictive Drums2は揃えてある。 (100%使いこなしているとは決して言わないが) ドラム音源に限らず、ソフトウェア音源は、自分がDTMを始めた頃に比べて遥かにリアルに、そしてハイクオリティになったけど、なんか面倒くさくなったなぁ…。 いろいろなことができるようになればなるほど、何か大切なものが指の隙間からこぼれ落ちていくような感覚…。 ハード音源のTR-909やTR-606を使っていた頃はもっとシンプルに思考と音が直結していたような気がする。 (80年代の一時期、いわゆるテクノっぽいことをずっとやっていたので…あ、世代がバレる(汗)) でも、「面倒くさくなった」と感じるのは、たぶん、プロセスというかセオリーの問題。 アレンジの途中で、音色やエフェクトにこだわってしまうから悪いのだ。 だって、音色とか作り込んでいると、いろいろできすぎてキリがなくない? そこで立ち止まっているうちに、構成やフレーズのアイデアが遠のいていってしまう…。 割り切って、先に進めないからどんどんドツボにハマるのだ(汗)。 いまは作曲家、アレンジャーの定義というか、仕事の領域が変わってきていて、打ち込みはもちろん、以前だったらミックス・エンジニアがやっていた仕事の一部や、人によってはマスタリングまでスタンドアロンで作業し納品する時代…。 そういうスタイルを好む人も、少なからずいるけど、僕はいろいろな人のスキルやアイデアが予期せぬ塩梅で絡まったほうが、いい作品ができるんじゃないか、と思っている。 まあ、今、あるプロジェクトをスタンドアロンでやっているのは、「仕方がないから」ではなくて、それはそれで考えがあってのことだけど…。

Because it's there.

藤原ナオヒロの次のアルバムは、作詞家としての彼を前面に打ち出そうというコンセプトも含まれているので、本人はかなり悩んでいるようだ。まあ、せいぜい産みの苦しみを味わうが良い(笑)。そこにこそアーティストとしての成長があるのだから…。 …などと、他人事のように言ってはいるが、曲をつくるこちらのほうも、けっこう悩んでいる。 こちらは無駄にキャリアが長いので、なんかもう、いろいろやり尽くしちゃって、何をやっても新鮮味を感じなくなっている。麻痺しちゃっているんだよね(汗)。 自分の引き出しなんてたかが知れているということだ。 若い頃は次々と新しい引き出しを開くことができたのになぁ…。 人よりちょっとばかり引き出しが多いからって、それに甘んじるな、ってことかもな。 せっかく若いアーティストと一緒にやっているのだから、自分の壁を破っていかないと…。

夏風邪は馬鹿がひく

えっ、馬鹿は風邪ひかないんじゃないの!? この猛暑の中、まさかの夏風邪。いわゆる冷房病というやつか。 熱があるので汗をかいたほうが良いのだろうけど、さすがにエアコンを切るわけにもいかず(切ったら死ぬ)、頭は重く鼻はズルズル…。カラダの節々も痛い。 夏風邪はなかなか治らないとも言われるけど、早く治して仕事しないと(汗)。