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9月, 2018の投稿を表示しています

ジェレミーとレオナルド

自分はキーボードプレーヤである。
一応、ピアノの専門教育を受けてきたので、そこそこ弾ける。
…なのでDTMの打ち込み作業は、ステップ入力するよりリアルタイム入力のほうが断然早い。
ついでに高校時代はブラスバンド部でパーカッション・パートだったので、ドラムもそこそこ叩けた。
(もう何年も叩いていないので過去形だけど…)
ただ残念なことに、弦楽器が全然ダメで、中学生の頃、小遣いを貯めてフォークギターを買ったけど、あまり上達しなかった。
いや、上達どころかいまだに全然弾けない。
だから自分がアレンジするギターパートやベースパートは、きっとギタリストやベーシストに言わせればすごくウソ臭いだろうな、と思うわけで…(汗)。
それでもまあ、ここ十年くらい、ギターやベースのソフトウェア音源は、かなりリアルなアーティキュレーションを再現できるようになった。
昔と違って、今ではデモ段階でかなり「それっぽい」ギターパートやベースパートが作れるので、完成形がイメージしやすくてとても便利。
リードギターなど、存在感バリバリなパートなんかはあとでギタリストに本物のギターに差し替えてもらうにしても、サイド的なパートでは打ち込みのまま「嘘ギター」や「嘘ベース」を貫くことも少なくない(汗)。まあ、特にポップスの歌モノでは。
…逆に、これは絶対にホンモノじゃないとダメという場合もちゃんと心得ています。
要は「何を聞かせたいか」が大事なわけで。
現在好評を頂いている藤原ナオヒロの「Limit Unlimit」も、ゲストプレイヤーのImai氏のギター以外は、アコースティックギターもエレキギターも全て私の嘘ギター…一応、内輪では「ジェレミー」という名前の専属ギタリストという設定にしています(汗)。
あ、ベースは「レオナルド」君です。

In wine there is truth

藤原ナオヒロのネットラジオ「ミッドナイトデザート」で、ナオヒロの奴、「僕はボーカル売りじゃないので…」なんて言いやがった!
あれ? 弱気?
っつーか、あかんやろ、歌手なんだから(笑)。
ダメダメ、逃げ道つくっちゃ。

ネットラジオ「藤原ナオヒロのミッドナイトデザート」25

JV-1080が手放せない…

DTM環境の進化に伴い、気がついたらハードウェア音源はあまり使わなくなった。ソフトウェア音源のクオリティも格段に進化し種類も豊富…何より、DAWの中で完結したほうが手っ取り早い。
清水の舞台から飛び降りる覚悟で、あこがれのシンセを「男の60回」(←分かる人にはわかる)で購入したのも今は昔…今の若者は羨ましい。

さて、そんな私の環境でも、一台だけ、現役で働いてくれているハードウェア音源がある。

その名は「Roland JV-1080



エキスパンジョボードを4枚搭載して、今でも故障ひとつ無く、元気に働いてくれている。
後継機種として、その後「JV-2080」や「XV-5080」…そして現行機種の「INTEGRA-7」とその系譜は続くけど、自分はずっと初代の「JV-1080」だ。
これだけは、どうしても手放せない。
なにしろ20年以上前の機種なので、操作性も拡張性も今となってはいまひとつ…でも音色に関しては「コイツじゃなきゃダメ」という音色が多くて…。
それにどのバンクの何番目にどんなパッチがあるか、ちゃんと頭に入っているので、音を探してあれこれ悩まなくて済む。

問題は、そのエクスパンションボード。経年劣化で電解液が漏れて最悪の場合、発煙する可能性があるらしい…。そろそろ潮時か!?(涙)

新しいソフトウェア音源は次から次へと登場する。
音色のトレンドもどんどん変わっていく。
自分もいろいろと新しいものを試すのが好きだ。
でも、ひとつくらい、手足のように何も考えずに使える音源があるのも良いものですよ、ソフト・ハードに限らず。

今日の投稿を、10年後にもう一度読んでみようと思う

音楽なんてもんをやっていると、どこがゴールなのか分からなくなる時がある。
もちろんビジネスとしては、それなりの収益を上げることが目標。
そんなこたぁ当たり前なわけで、でも、だからと言ってそれがゴールかと言えば、違うような気もする。
以前、尊敬する某プロデューサーに「終わりのない旅」と言われたことがあったけど、「自分が現役でいられる期間はあとどれくらいなのだろう…」ということを考える年頃になって、具体的にどこに着地したいのか、いろいろと思いを巡らすようになった。
細かく逆算していかないと、死ぬまでにやりたいこと、全部できねーじゃねーか!

まあ、当たり前のことだけど、目的と目標は違う。
目的とは…まあ、自分が音楽をやる意味、理由…かな。
とにかく、目標を追っている間に目的を忘れないようにしたい。

作曲のお作法

作品を作る時、自分はメロディーから作る。
そしてそのメロディーをガリガリと五線に書いていく。
コード進行から作る場合もなくはないけど、そういう場合はたいがいメロディーが出来た時点でコード進行は最初に決めたものとはガラリと変わっていることも多い。
たぶん、メロディーを考えている頭の中で、コードも一緒に鳴っているからだと思う。
簡単なドラムパターンやリズム系ループのトラックに合わせて作る場合もある。それでも次に考えるのはメロディーだ。
そう、結局はメロディー。全てはメロディー。
これは歌モノポップスでもジャズ系インストでも、私の場合は変わらないセオリーだ。
なぜなら、自分の場合は、メロディーに「感情や情景」の情報を埋め込むことを意識しているから。
その「感情や情景」がフィクションであっても、ノンフィクションであっても、そう。

歌モノで曲先(先にメロディーを作って後から歌詞を乗せる)でもそれは同じ。
作詞家にはメロディーの情報から何かしらのメッセージを受け取ってもらい、それを作詞家が考える世界観に当てはめてもらう。背景や設定を取っ払った感情の動きが、私がメロディーに込めたものと同じなら、それは大成功。
いままで評価の高かった作品は、たいがいそのへんのコミュニケーションが上手くいった結果だ。

ついでに言えば、アレンジは線画に色をつけていく感覚かな。
曲によって水彩絵具だったり油絵具だったり、時には色鉛筆かも…。
あえてシュールな色彩にしてしまう場合もあれば、印象派を狙う時もある。
まあ、正直に言えば、あまり塗り絵は得意じゃないみたい(汗)。
なにしろ「ツメが甘い」もので…。

天気予報がキマグレでは困ります…

Hana-Utaのトピックでも書いたが、hirosの『キマグレ天気予報』がリリースされた。
そのトピックではこの曲はフォークな感じと書いたけど、パワーコード炸裂のロック調でも良かったのかな…。
まあ、hiros本人が気に入ってくれているので、良しとします。
どうぞ、聴いてやってください。

「アートする」って言葉、なんかヘンだよね?

音楽クリエーターは、大雑把に分類すると(あくまでも大雑把…ここ大事)、アーティストタイプと職人タイプに分かれるということは、古今東西、よく言われている。
自分は、ずいぶん昔から「打ち込み」メインだったし、カラオケ制作などもやっていた時期があるせいか、「職人タイプ」と言われることが多々あるけど、全然違います(笑)。
だって、いつもツメが甘いもん(自爆)。
決して理論派ではなく感覚に頼ることのほうが圧倒的に多いし(まあ、感覚は理論の積み重ねなのかもしれないけど)、周囲にいる圧倒的な職人的スキルを持ち合わせている人を見てしまうと、とても恥ずかしくて「職人肌」などと言えない。
それに、決定的に「違うな」と思うのは、私はオーダーを受けて、それに応じて作品を作る、ということがとても苦手。
自分が作りたいモノしか作れない…。とてもワガママなクリエーターなのである。
だから自分が作りたい音楽を受け入れてくれる人としか、パートナーを組めない悲しい体質でもある(生産性がない…とも言う)。

まあ、そういう意味で、「アーティストをプロデュースする」という立場は、とても自分に合っている。
それもかなりワンマンなプロデュース手法で(汗)。
もう、ほとんど洗脳(笑)。
誤解を恐れずに言うなら、そのアーティスト自身が僕の作品…そのくらいのキモチでやっている。ガッツリと四つに組んで。
アーティストからすれば、面倒臭いプロデューサーだと思うけど、それが自分の「やり方」だし、他のやり方って知らないんだよね…(汗)。
それに、自分がリスペクトするアーティストたちも、そういうリレーションシップの中で音楽を生み出していることが多い。
リレーションシップというより、師弟関係に近いのかもしれないけど(笑)。

正直に言えば、その方法論でプロデュースをして失敗したこともある。
相性の問題とかそういう精神論ではなく、現実的な問題でいろいろと不可能なこともある。
音楽と言えども、ビジネスであり生活なのだから、仕方がない。

まあ話が逸れたが、私は決して職人肌ではない、ということが言いたかった。
じゃあ、何者かって?
うーん…アーティストをアートするアーティスト…みたいな?

「Limit, Unlimit」はギャツビーの世界なのである

手前味噌になってしまうが、藤原ナオヒロのアルバム『Limit, Unlimit』の評判がわりと好評。ありがとう。
さて、アルバムのタイトル・チューンの「Limit, Unlimit」の歌詞…まあ、これは藤原本人が書いているのだけど、彼はバブルを経験していない世代なのに、やたらバブリーな世界観…。
彼のライフスタイルも、至って質実剛健。無駄遣いは嫌いだし、どちらかと言えばケチなほうだ。
たとえばバブルを経験した世代が、それを風刺したり、懐かしさを皮肉ったりした歌詞を作ることはわりとあるけど、何故かこの歌詞、むしろバブルに肯定的…というか憧れさえ感じる。なぜ?

理由はどうやら彼が見た映画のようだ。
ディカプリオ主演の『華麗なるギャツビー』…。ふーん、なるほど。
(※男性用化粧品の商品名ではないぞ)
私もあの映画は好きだ…というか、彼にその映画を観るように勧めたのは私だった(汗)。
その映画は別にバブルを描いている、というわけではない。まあ「無常観」みたいなものを感じる、という意味では確かにバブルに似ている。私自身は「もののあはれ」的なものを感じたけどね…。
きっと藤原ナオヒロはその映画にインスパイアされた「一瞬の煌めき」のようなものを描きたかったのだろう。そして、その煌めきはいつかは消えてしまうのだけど、たぶん、その後に来る、本当の「虚無」というものを、ナオヒロはまだ知らない。

いつか、彼がそれを歌詞の世界で表現できる日が来ることを、長い長い長ーい目で見守ることにしよう。